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女性活躍WOMEN'S EMPOWERMENT

2023.08.28パラレルワーク再就職

やる気のある人がやめない会社を創りたい

  • 2002年
    防衛省海上自衛隊に幹部候補生として入隊
  • 2003年
    3等海尉
  • 2017年
    自衛隊を退職(3等海佐)
  • フジッコに入社人事総務部 ダイバーシティ推進室に配属以降、総務部門、マーケティング部門(広告宣伝、PR等)で勤務

「人の役に立ちたい」という気持ちが仕事への原動力

 ―豊田さんの今までのご経歴で目を引くのはやはり前職の海上自衛隊です。海上自衛隊に入隊されたきっかけと転職された理由を教えてください。

「人の役に立ちたい」というのが私の信念です。それを体現できる仕事ってなんだろうと考えたとき、真っ先に警察官になりたいと思いました。ですが、身長が足りない…。他に何か手段はないのかと、当時とりあえず勤務していた大阪労働局が入っている建物のロビーで採用試験の案内を眺めていたら、自衛隊の人にスカウトされたんです。海上自衛隊を選択したのは、以前アルバイトをしていたご縁もある司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」に感銘を受けたから。2002年に海上自衛隊に入隊後、幹部自衛官として15年勤務しました。

やりがいのある仕事だったのですが、階級が上がるにつれ、海上自衛隊の組織文化に少し息苦しさを感じるようになりまして。その他、ほぼ2年に1回という間隔で引っ越しを伴う転勤があったり、関西にいるたくさんの友人に気軽に会えない環境に「この生活の先に、何が残るんだろう。」と転職を考えるようになりました。東日本大震災もひとつのきっかけです。あまりにたくさんの悲しい出来事の連鎖に疲弊してしまって。

それから、自衛隊の定年って、基本的には50代半ばと、民間企業に比べるとかなり若いんです。定年後のキャリアを考えたときに、「50代半ばから新しい仕事に挑戦できるのかな」ということもネックになって、転職を思い立ち、40歳を目前に、「年齢のきりも良いし、思い切ってやってみるか!」と海上自衛隊を退職し、キャリアチェンジをしました。

 ―フジッコへ転職されたのはどういう経緯があったのですか?

最初は、これまでのキャリアを生かして働こうと、関西の地方自治体に絞って転職活動をしていました。そうしたらすぐに、ある地方自治体から内定をいただきました。ですが配属先は「危機管理室」だったんです。「また同じような仕事になってしまうな…」と感じ、これは民間企業も視野に入れたほうがいいかもしれないと、転職サイトに登録したら、とんでもないスピードで、フジッコにご縁をいただき、入社することになりました。

―海上自衛官から民間企業へと、大幅なキャリアチェンジになりますが、不安はありませんでしたか?

全くありませんでした。これまでのように24時間ニュースを気にする必要もないし、大きな地震が起きて緊急連絡が来ることもない。休みたい時に休める。その上、勤務時間も短くなるし、業務量もほどほどだし、ゆとりを持って仕事に取り組めるな、と思っていました。

 

人を動かすのは「正しさ」じゃなくて「面白さ」

―フジッコに入社されてから、「働き方改革」や「企業理念の構築」、「就業規則の全面改定」など、さまざまなプロジェクトに携わっていらっしゃいます。その中で特に大変だったのは何ですか?

「働き方改革」です。これはフジッコに入社して最初に担当したプロジェクトなんですが、そもそも自衛官だった私には「残業」という概念がなかった。だから、「働き方改革って何?」というレベルからのスタートでした。

当時のフジッコでは、長時間労働や賃金不払残業(サービス残業)が問題視されており、それらの課題を根本的に変えていくというのが私に課せられた任務でした。もちろん「働き方改革」の考え方自体は正しいことなんですが、人間の意識と行動はそう簡単に変えられない。入社して間のない私の呼びかけに、否定的な意見を持つ人もちらほらいました。ということで、入社早々に「ゆとりを持って仕事に取り組めるだろう」という目論見は見事に外れ、一筋縄ではいかないフジッコでの生活が始まりました。

―実際にはどのように取り組まれたのですか?

正しいことを正しく訴えるだけでは、人は動かないんです。「サービス残業はダメですよ」「定時で帰りましょう」といくら呼びかけてもダメ。例えば、お母さんから「お風呂に入りなさい」と言われたら、「わかってる!ほっといて!」とちょっと反発したくなるじゃないですか。それに近いものがあるのではないかな、と。ですから、その腹の内を理解しつつ、「なんじゃこりゃ?」と思うような、ちょっと面白い、意表を突くようなアプローチで「働き方改革」を推進することにしました。フジッコって、関西の会社ですし。

例えば、これは鉄板ですけども、社長を含め、役員からのメッセージを壁新聞風に作成して配信してみるとか、朝と夕方に、新入社員に「早く帰りましょう」というメッセージを生放送で伝えてもらうとか、終業時間に「終わりの会」を開くとか、定時退社をアピールするポスターのモデルに「納得がいかない派」を起用するとか。
たいしてお金をかけなくても、見せ方やキャッチコピーなど、ちょっとした工夫で周囲は変えられるということも証明したかった。もちろん、たまに重鎮の方から貴重なご意見を賜ることもありましたが、「こんなことで私は負けん!」と自分を奮い立たせて、たまにトイレで泣きながら、「働き方改革」を推進しました。そんな方法で少しずつ、社員の意識と行動を変化させていきました。いや、いけたかどうかは分かりませんけれども…。

―さまざまな方法で「働き方改革」を推進されたのですね。そんなユニークなアイディアはどこから思い浮かぶのですか?

それは、日々目にするもの、耳にするもの、全てからです。日々もたらされる情報って、パズルのピースみたいなもので、ある時ふと「これやっ」ってひらめく瞬間がある。そうしたら、その瞬間に、巻き込みたい人に即連絡。「思い付いたら即実行」するのみです。

それから、口には出すほどではないけれど、潜在的に皆が面倒だと感じている「改革の種」を探すのが得意なんです。それは、やはり根本に「人の役に立ちたい」という気持ちがあるからこそ、見えてくるのだと思います。「働き方改革」の先にある、10年後の未来を信じて行動すること、そして、それを実現させるためにはどうしたら良いのかを四六時中考えていました。獣のように。

―豊田さんが行う改革は、しっかりと浸透し、定着しているように思えます。物事のやり方を変更するときに大切にしていることは何ですか?

「面倒臭さがなくなるよ」という事実を、しっかりと伝えることです。人間って「現状維持」を選択してしまう生き物なので、どんなに便利なものであっても、それを試すこと自体に「面倒臭さ」を感じてしまう。
次に、いつ、どのようなタイミングで情報を発信するかに配慮することです。例えば、面倒なメールを月曜日の朝9時や、金曜日の夕方4時に発信しても、開封さえされないと思うんです。「また後で見たらいいや」って。どんなにこだわった内容でも、見られなかったら終わりですから。
最後に、風見鶏のような仕事の仕方をしないことです。自分の美学に反する仕事の指示には、従わない時もありました。とはいえ、これは上司から嫌われる場合がありますのでお勧めはしません(笑)

コロナ禍に、当時勤務していた総務部門で「名刺の自動オーダーシステム」を導入したんです。以前は、担当の社員に対して、原則として、定められた時期にしか名刺を発注することができなかった。しかも発注の際に、デザインの確認を含め、担当者と複数回のメールを交わす必要があり、納品には1か月もかかっていた。どう考えても、これは不便でしょう。でも、その状況が、受け入れられていた。もしかしたら、営業部門などは、別の方法であつらえていたのかもしれませんが。

早速、自分の頭の中の構想を実現することのできる仲間に連絡し、名刺の自動オーダーシステムを0円で導入しました。その際に、名刺のデザインを数種類に集約しました。デザインを一気に削減したことについては、かなりの反発を予測していましたが、ほぼ、クレームはありませんでした。今では、皆がこのシステムを当たり前に使いこなしており、名刺は発注から1週間程度で納品されるようになっています。

私は、前職で海上自衛隊でも一番と言っていいほど多忙な総務課に勤務したことがあったのですが、その時に、総務の腕の見せ所は「いつ、いかなる、どのようなオーダーにも瞬時に対応できるタフさ」であるという結論を得ました。たかが名刺作成、されど名刺作成と言われてしまいそうですが、何事も、一事が万事。「やる」か「やらないか」の二択じゃない。どうやって「やる」か、しか考えていません。これは私の強みの一つです。

フジッコで働く人に「働きがい」を感じて欲しい

―フジッコでのご自身の役割は何だと思いますか?

私の仕事は「通訳」みたいなものだと思っています。会社から発信される堅苦しいメッセージや指示は、そのままだと真意が社員には伝わりにくい。それを手を変え、品を変え、景色を変え、一目で分かる文章や資料やグッズにして「翻訳」するのが私の役割。

今では、私が通路などで作業をしていると、いろんな人が「次は何をやらかすんですか」って声をかけてくれます。「私がしていること」=「社内の常識ではないこと」と受け止められているんでしょう。私の発信は多分「フジッコらしくない」。だけど「ちょっと見とくか」というノリで見てもらえる軽さがある。そして、社外から評価を得るくらい、そこそこ面白い。この繰り返しで、約6年という歳月を経て、少しずつですが、社内の人たちからの信頼を得ることができてきたように思います。
社外にも、数えきれないほどの「仲間」と「居場所」が出来ました。

―今後はどのような活動をしていきたいと思っていますか?

会社という組織の中で働くって、そんなにいいことばかりではありません。誰もが日々の仕事の中で理不尽な挫折を大なり小なり味わっていると思うんです。希望しない異動や、上司との意見の不一致など、挙げればキリがない。そしてこれは、会社への思い入れが強い人ほど、強く感じてしまう負の感情だとも思います。

私はおせっかいを承知で、そう感じている人たちに、「フジッコで働くって悪くないな」と思ってもらえるような活動がしたいと思っています。定番ですが、社外で評価を勝ち取るとか、異業種の他企業とコラボ商品を作るとか…。ちなみに、昨年バンダイ様とコラボした「ガシャポン」はちょっとしたブームになったんですよ。
話は逸れましたが、「やる気のある人がやめない会社を作る」という自分自身が定めた使命を、あの手この手で実現して行きたいと思っています。

また、社内の人だけでなく、お客様との関係も丁寧に紡いでいきたい。お客様にフジッコの価値を理解してもらう活動にも、引き続き従事し続けていきたいと思っています。

―いつも活動的な豊田さんですが、そのエネルギーの源は何ですか?

地球上で最も尊敬する坂東 元(ばんどう げん)園長(以下「坂東園長」)と、坂東園長が創り上げた旭山動物園です。これまでになんと100回以上は訪問しています。

水槽の中を泳ぎ回るペンギンやあざらし、悠々とした泳ぎを披露するカバやホッキョクグマ、遠吠えをするオオカミ、地面を駆け回るライオン、ゆったりと空中散歩を楽しむオランウータンなど、100種613点の動物が、豊かに幸せに暮らしています。
旭山動物園には、パンダやコアラといった珍しい動物はいません。ですが、スタッフの手書きの看板や、心から絞り出された言葉の数々が、自然と心に響くんです。

これらのことは、普段の私の仕事にも応用が効く。そして、旭山動物園に佇んでいると、心が開かれた状態になるからか、次々とアイディアが浮かんでくるんです。「帰ったら頑張ろう」ってモチベーションの源になる、そんな場所です。

昨年(2022年)5月、園内で坂東園長に遭遇したご縁を生かし、私がアドバイザーを務めている「こども本の森神戸」(神戸市中央区)で昨年10月に行った講演会は、超満員の大盛況でした。

余談になりますが、「こども本の森神戸」での活動を通じて得た人脈やひらめき、アイディアはフジッコに持ち帰り、担当であるか否かを問わず、様々な業務や活動に生かすことで、良い循環が生まれています。

―最後に、キャリアチェンジを考えている人へメッセージをお願いします。

好きなことを全力で出来る環境を手に入れてください。女性は「やりたいこと」ではなく「できること」を仕事にしがちであるように感じます。

仕事の醍醐味は、自分がやりたいことに情熱を傾け、努力を惜しまず、人を感動させるほどの成果を収めること。時には、相手の肩書や立場に忖度せず、ゆずれないものはゆずれないという姿勢を貫くことも大切です。

そして、悩んでいるうちに誰かに先を越されるくらいなら、やりたいことをやったほうがいいと思います。大丈夫、それくらいのことで、誰も死なないんだから。

 

所属団体名
フジッコ株式会社
所在地
〒650-8558 神戸市中央区港島中町6丁目13番地4
事業内容
各種食品の製造販売
規 模
資本金:65億6,653万円(2023年3月31日現在)、従業員:2,398名(フジッコグループ全従業員)
ホームページ
https://www.fujicco.co.jp/

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